なぜ勉強するのか?

なぜ勉強するのか?

学生・受験生の皆さん、日々の勉強を頑張っていますか。
八戸の学習塾Rootです。


勉強することの意義を掴むためのヒントとなるであろう言葉をご紹介します。

太宰治の言葉

勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。


何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。


学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!


「正義と微笑」より

スティーブ・ジョブズの言葉

自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。


もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。


繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。


スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて

荻野暢也の言葉

仮に将来役に立たないから学ばない、役に立つ事だけをすればいいとしよう。まず将来役に立つとか立たないとか子供に判断が付く事だろうか?もしかしたら本人は無駄な事に時間を使わない賢い生き方だと思っているのかもしれないが、それは自ら可能性を絶っている。より良く生きる事、人生の質を高める事を諦めている。何が将来役に立つかなどわかるはずがない。ネットも携帯電話もテレビゲームもその時学ぶ方を選んだ人間が作った物である。


極端な例だが発展途上国の子供たちを想像して欲しい。その無駄な教育を受けられない事が貧困の連鎖、犯罪に対する道徳感の欠如を生んでいる。いつまでたっても親の人生のレベルから這い上がれない。先日教師に対する暴行シーンをネットに上げてニュースになったが、以前からその高校の進学クラス以外ではもはや授業にならないそうだ。彼らはいったい将来何になるのだろうか?授業から学ぶのは教科だけではない。良識、道徳、他人に迷惑をかけてはいけないという常識、マナー。まともに教育の受けられる環境にあるならば受けた方がいい。教師に怒られているうちが華だ。それでわからなければ法や警察に教わることになる。


次に勉強をしなかったとしたら代わりに何が出来る人になるのだろう?普通の中学生や高校生には大抵、人と比較して卓越した能力など持ってはいない。オリンピックに出場できるほど足が速いとか藤井聡太君みたいに将棋が強いとかプロからスカウトが来るほど野球が上手いとか。それならしなくて済むのかもしれない。もしそうでないなら、彼らに負けたくなかったら凡人は学ぶしかない。


何故学ぶのか? それは君の人生がまだ何も決まっていないからである。


荻野暢也ブログ「ノブヤの小部屋」(2017-10-29)